ZONEHACKERS' LAB Written by Yujiro

[DNB]デュアルNバック挑戦の記録[2024年7月]

脳トレ

僕が2021年12月9日から毎日30分挑戦しているデュアルNバック(DNB)という脳トレの2024年7月の記録をまとめてみた。

この記事はこんな人にオススメ

  • 僕!
  • 本気でDNBに挑戦している人!
  • または、変人の生態を研究している変人

本記事の内容

  • DNB挑戦の総括(全期間)
  • DNB挑戦の記録[2024年7月]
  • 月間平均Nレベルの推移(全期間)
  • 7月の結果とその考察

デュアルNバック挑戦の総括(全期間)

期間: 2021年12月9日〜2024年7月31日(966日間)
連続挑戦日数: 966日(+31日)
総挑戦回数: 21,722回(+373回)
総挑戦時間: 491時間23分(+16時間8分)

(嘘だと思うならXで僕の投稿を確認してみて!挑戦を開始した2021年12月9日まで、966日分の挑戦結果報告を遡れるよ!まあ、証拠としては不十分だし、信じてもらいたいわけでもないけれど)

使用アプリは自作のDNBアプリ『DNB Limitless』(2022年7月3日から使用開始)
このアプリの仕様については、こちらの記事をどうぞ。
[DNB]デュアルNバック挑戦の記録[2022年7月]

DNB挑戦の記録[2024年7月]

[DNB]デュアルNバック挑戦の記録[2024年7月]

期間: 2024年7月1日〜7月31日(31日間)
使用アプリ: DNB Limitless(自作のDNBアプリ)
挑戦回数: 373回[12.03回/日](-2.80回/日)
挑戦時間: 16時間8分[31.23分/日]
月間平均Nレベル: 39.21(+7.43)
1日あたり最高平均Nレベル: 47.00(+7.75)
1日あたり最低平均Nレベル: 34.29(+11.74)
最高Nレベル: N=47[正答率88%](+7)

※()の中は6月(前月)との比較。

月間平均Nレベルの推移(全期間)

期間 期間平均 1ヶ月の平均
2022年7月3日〜17日(15日間) 10.89
7月17〜31日(15日間) 11.01(+0.12) 10.92
8月1〜16日(16日間) 11.05(+0.04)
8月16〜31日(16日間) 11.85(+0.80) 11.45(+0.53)
9月1〜15日(15日間) 11.92(+0.07)
9月16〜30日(15日間) 12.05(+0.13) 11.99(+0.54)
10月1〜16日(16日間) 11.60(-0.39)
10月16〜31日(16日間) 13.04(+1.44) 12.37(+0.38)
11月1〜15日(15日間) 13.23(+0.19)
11月16〜30日(15日間) 13.52(+0.29) 13.37(+1.00)
12月1〜16日(16日間) 14.87(+1.35)
12月16〜31日(16日間) 15.57(+0.70) 15.22(+1.85)
2023年1月1〜16日(16日間) 17.69(+2.12)
1月16〜31日(16日間) 17.68(-0.01) 17.69(+2.47)
2月1〜14日(14日間) 18.74(+1.06)
2月15〜28日(14日間) 20.67(+1.93) 19.71(+2.02)
3月1〜16日(16日間) 17.95(-2.72)
3月16〜31日(16日間) 19.57(+1.62) 18.83(-0.88)
4月1〜15日(15日間) 21.01(+1.44)
4月16〜30日(15日間) 21.66(+0.66) 21.34(+2.51)
5月1〜16日(16日間) 22.70(+1.04)
5月16〜31日(16日間) 22.37(-0.33) 22.52(+1.18)
6月1〜15日(15日間) 22.30(-0.07)
6月16〜30日(15日間) 27.80(+5.50) 25.05(+2.53)
7月1〜16日(16日間) 25.35(-2.45)
7月17〜31日(15日間) 25.08(-0.27) 25.22(+0.17)
8月1〜16日(16日間) 26.67(+1.59)
8月17〜31日(15日間) 29.06(+2.39) 27.83(+2.61)
9月1〜15日(15日間) 28.21(-0.85)
9月16〜30日(15日間) 25.62(-2.59) 26.92(-0.91)
10月1〜16日(16日間) 31.85(+3.64)
10月17〜31日(15日間) 34.23(+2.38) 33.00(+6.08)
11月1〜15日(15日間) 33.66(-0.57)
11月16〜30日(15日間) 18.30(-15.36) 25.98(-7.02)
12月1〜16日(16日間) 24.48(+6.18)
12月17〜31日(15日間) 19.39(-5.09) 22.02(-3.96)
2024年1月1〜16日(16日間) 23.808(+4.418)
1月17〜31日(15日間) 24.289(+0.481) 24.05(+2.03)
2月1〜15日(15日間) 28.50(+4.211)
2月16〜29日(14日間) 25.352(-3.148) 26.98(+2.93)
3月1〜16日(16日間) 28.50(+3.148)
3月17〜31日(15日間) 26.09(-2.41) 27.33(+0.35)
4月1〜15日(15日間) 26.369(+0.279)
4月16〜30日(15日間) 28.521(+2.152) 27.45(+0.12)
5月1〜16日(16日間) 37.003(+8.482)
5月17〜31日(15日間) 33.995(-3.008) 35.55(+8.10)
6月1〜15日(15日間) 32.027(-1.968)
6月16〜30日(15日間) 31.532(-0.495) 31.78(-3.77)
7月1〜16日(16日間) 36.938(+5.406)
7月17〜31日(15日間) 41.628(+4.690) 39.21(+7.43)

7月の結果とその考察

7月の結果とその考察
7月の主だった出来事を時系列に並べると以下のようになる。

  • 「たまねぎ」の『インディスペンサブルズ』入隊。これによるスコアの回復。でも、まだ自己ベストには届かない。
  • 「コラーゲン・プロテイン」と「白米」の『インディスペンサブルズ』入隊。これによるスコアの回復。13日(土)からスコアが右肩上がり(21日まで)
  • 19日(金): 60日振りの平均N自己ベスト更新(41.64) Oura Ring紛失!!
  • 20日(土): 61日振りの最高N自己ベスト更新(N=43) 正答率74%で防衛失敗。2日連続平均N自己ベスト更新(42.09)
  • 21日(日): N=43で正答率89%達成。3日連続平均Nレベル自己ベスト更新(42.36) 明日からニコチン無し。
  • 24日(水): ニコチン断ち3日目。N=36まで低下。
  • 25日(木): ニコチン摂取再開。N=38まで回復。平均N: 36.69
  • 28日(日): 8日振りの最高N自己ベスト更新(N=44、N=45) 7日振りの平均N自己ベスト更新(43.82) 1日で2レベルupは10月29日以来273日振り。
  • 29日(月): 2日連続平均N自己ベスト更新(44.73) N=45で8回防衛成功。
  • 30日(火): 2日振りの最高N自己ベスト更新(N=46、N=47正答率84%) 2日振りの1日で2レベルup。3日連続平均N自己ベスト更新(46.40) 初めて10回の挑戦で30分のノルマ達成。
  • 31日(水): 挑戦開始以来初となる「平均N(47.00) = 最高N(47)」4日連続平均N自己ベスト更新(47.00)

上記結果報告および7月のストーリーをご覧頂ければわかるように、7月は自己ベストを更新しまくる「大飛躍の月」となった。もちろん、これは僕の幼稚な脳みそから産出された解像度の低い厨二予想を遥かに上回るものである。

何がこの結果をもたらしたのか?

まず(6月の記録記事の最後でも触れたけど)、「たまねぎ」の「インディスペンサブルズ」への正式加入が極めて大きい。

6月の記録記事に目を通していないまだ心の清い方のために「インディスペンサブルズ」を簡単に説明すると、「『僕がDNBにおいて自己ベストを更新するために絶対不可欠だと思われる栄養素・成分』だけで構成される強部隊の厨二名称」となる。つまり、哀れにも厨二病を患う僕がこれまでの挑戦と結果および試行錯誤から「僕のNレベルと強い相関関係がある」と思われる要素を選抜して作ったリスト、ってこと!

まさか低FODMAPにするために排除していた「たまねぎ」がNレベルの低下要因だなんて夢にも思わなかったけど、いざ「たまねぎ」に疑いの目を向けて日記を遡ってみると、「たまねぎ」を食べた日のNレベルの上昇が確認できた。実際に試してみたところ、ビンゴ!Nレベルが回復し、「たまねぎ不足」がNレベル低迷の原因の1つであった可能性が濃厚に。

しかし、それでも自己ベストには届かなかったので、再び日記を遡って他の原因を探してみたところ、「たまねぎ」とは別に2人の容疑者が浮上した。

それが「コラーゲン・プロテイン」と「白米」だ。これらも自己ベスト更新街道を疾走していた去年の10月までしょっちゅう摂っていたものだ。「コラーゲン・プロテイン」は肉体労働時に必要なドーパミンやアドレナリンなどの神経伝達物質の材料としてほぼ毎日。「白米」は週に2〜3回ほど。これらも「グラスフェッド・バター」と同様に、「僕のNレベルに何ら影響を与えない」と半ば無意識的に判断していたため、こちらに引っ越して来てからあまり摂らなくなっていた。

通常、この容疑者特定は容易じゃない。例えば僕が、毎日3食、毎食違うものを食べていたらカオス。どの食材や栄養素がどのような影響を自分の身体や認知能力に与えているのかを追跡するのはほぼ不可能だ。それは例え詳細な日記をつけていても同じだろう。

でも、僕は基本的に毎日ほぼ同じ食材・栄養素を同じ量だけ、同じ時間に摂るようにしている。(朝はキウイ2個、昼は無し。食事と呼べるものは夜のみ)もちろん、それぞれの食材や栄養素が僕自身の身体や認知能力に及ぼす影響を身体感覚やDNBのスコアを通して察知し易くするためだ。(それにも関わらず6ヶ月間もスコア低迷を許したという僕にとって都合の悪い事実はひとまず棚に上げておいて)だから、此度の容疑者の特定は比較的容易だった。(えぇ〜・・)

もちろん、ウソ!此度の容疑者の特定が比較的容易だったのは嘘じゃないけど、その理由は僕の「変数を最少化する生活習慣」+「さらに詳細な日記習慣」のおかげだ。もともと容疑者になり得る存在が絞られてる上に、彼ら全員の行動(摂取量・時間)まで、全て今の僕の日記には記されているんだから、僕がコナン君のような名探偵じゃなくても特定は簡単!そして容疑者さえ特定できれば、星を挙げるのは時間の問題だ。

毎日ほぼ同じ内容を記している日記にも些細な違いがある。コピペではなく紙のノートに手書きすることによってこの些細な違いを正確に記すことができる。(一度コピペして失敗した経験がある)そして、その些細な違いがスコア低下の原因を解明する鍵となる。(このようにして成功体験を得ると行動が習慣化し易くなる)

ただ、「コラーゲン・プロテイン」は、摂取とスコアの上昇との関係が少しわかりづらかった。簡単に言うと、「摂取を2〜3日連続で続けるとスコアが上昇する」傾向と「摂取をやめて2〜3日するとスコアが低下する」傾向が記されていたわけだ。もちろん、微妙な頭1つしか持たない僕には「なぜこうなるのか?」はわからない。一応、「腸のバリア機能がコラーゲン・プロテインによって徐々に改善され、それが脳腸軸における神経伝達にポジティブな影響を及ぼすのではないか?」という解像度の低い仮説は持っているけれど。

これは「グラスフェッド・バター」の時もほぼ同じだった。グラスフェッド・バターの場合は「脂溶性のビタミン類」が含まれているから、それがグラスフェッド・バターの摂取をやめてからスコアが低下し始めるまでに時間がかかった原因かもしれないけど、今のところ「コラーゲン・プロテインとグラスフェッド・バターは同じ『腸内環境作用型』だから」っていう理由が僕の中では1番しっくりくるかな。

でも多分、大多数の人は「白米が僕のNレベルを押し上げる」という僕の主張の方が意外すぎて信じられないんじゃないかな。まあ、僕は誰かに何かを信じてもらいたくてコレを書いてきたわけじゃないから、誰が何を信じてどう行動するのかとか全然興味はないんだけど、一応、これが「白米という刺激に対して現時点の僕の身体が返した応え」であることは記しておく。意外すぎてビックリしたのは僕も同じだ。だからこそ「白米」に疑いの目を向けるまでに時間がかかった。

僕は以前から「白米(糖質)」を何日も連続で食べ続けると「身体が痛み出す」ことや「首、肩、腰などが凝る」ことがわかっていた。グルテンフリーを開始した後、かなり早い時期に糖質フリーも試してみてこれがわかった。(僕の腱鞘炎の原因も糖質の過剰摂取だったと考えている)だからグルテンを含まない「白米」などの糖質もあまり摂らないようにしてたんだけど、「自己ベストを更新した日(5月19日)」に着目すると直前の夕食で「白米」を食べたことが日記に記されていた。

僕が「白米」を食べる頻度は少ないから、「白米を食べる」のはいつも「何日か振り」になる。だから僕にとって「白米を食べる」ことはある意味アブノーマル。そんなアブノーマルな日に「Nレベルの上昇」というアブノーマルな現象が確認できたなら、疑いの目を向けるには十分な理由となる。

そして、いざ「白米」に疑いの目を向けてさらに日記を遡ってみると「Nレベルの上昇」が確認できる日には高確率で「白米」を食べていたことがわかった。ここまで顕著でありながら僕が「白米」と「Nレベルの上昇」の関係をすぐには見抜けなかった理由は、恐らく「Nレベルの上昇傾向が実際に白米を食べた日の翌日や翌々日まで続いていたから」だろう。つまり、「白米」を食べた日よりもその翌日、さらに翌々日の方が高いNレベルを示す傾向が確認できたわけだ。その「直近で最高のNレベル」を出した日に過度に注目してしまったために、その日には食べていない「白米」に疑いの目を向けることができなかったのだ。

いずれにせよ(これで今回の記事でも僕が愚か者である証明は十分にできたことだし)、ここまで容疑が固まってしまえば、あとは試すだけだ。結果は20日以降のストーリーが示す通りだ。(もちろん、「全て僕の勘違い」という可能性は常にそこにあるけれど!)

というわけで、晴れて「コラーゲン・プロテイン」と「白米」2名の「インディスペンサブルズ」入隊が正式に決定し、「インディスペンサブルズ9」は「インディスペンサブルズ11」になった。改めて僕の「インディスペンサブルズ11」を紹介しよう。(自分で考えた厨二名を恥ずかしげもなく連呼できるのが厨二病罹患の証拠!そんな僕のことを「恥ずかしいヤツ」と思ったあなたはまだ大丈夫!)

  1. サーモン(生)
  2. シチコリン
  3. Black Walnut & Wormwood (BW & W)
  4. 発芽にんにく卵黄
  5. ビタミンD3
  6. ニコチン(ニコレット・クイックミスト)
  7. カフェイン(コーヒー)
  8. グラスフェッド・バター
  9. たまねぎ
  10. コラーゲン・プロテイン
  11. 白米(3日に1回程度)

「白米」は、今のところ3日に1回くらいの頻度で摂るつもりでいる。それで自己ベストから遠退くようなら調整することになるだろう。ただ、そうでなくても身体の痛みや筋肉の凝り、活力の低下・眠気など不快な症状が出始めたら摂取量や頻度を減らすことになる。さらに、1年のうちで代謝速度が最速となる今(夏)は問題にならなかったとしても気温が下がって代謝速度が落ちたときに太る可能性があり、これも注意しなければならない。

夏には太陽の力(紫外線の強さ)が最大になるけど高気温はテストステロンの産生にはプラスに働かない。男性の場合テストステロンの90%以上は睾丸で作られるようだけど夏の陰嚢は見るも無惨な姿である。ちょっとSっ気のある僕でも「もっと頑張れ」とはとても言えない。適度に日光浴をしつつ、テストステロンの分泌が最も促進される朝を低い温度で迎えられるように空調するのが最善か?

一般的には「代謝速度と寿命には相関関係がある」と考えられているようで、これは簡単に言うと「お元気いっぱいの人は早死にする」ってことになる。つまり、「活力を得ようとするあらゆる試みが寿命を縮める」可能性があるというわけだ。テストステロン値を高めようとする試みもその1つ。テストステロン値が高くなればお元気いっぱいになるけれど、寿命は縮まる。少なくとも、一般的にメスの方がオスよりも長生きする傾向にあることや、宦官(かんがん)など去勢された人とそうでない人との平均寿命を比較した研究などによってその可能性が示唆されている。(つまり、早期に去勢された人の平均寿命は比較的長い)

長生きする生物として有名なのはニシオンデンザメ(グリーンランド・シャーク)。性成熟するまでに150年ほどかかり、寿命は400年とも500年とも言われている。この「最も長生きする脊椎動物」が有するもう1つの栄えある称号は「世界一のろい魚」である。全長7mにも達するこのサメの遊泳速度は秒速22〜34cm。あまりエネルギーを生産・消費せずに、ゆ〜っくり、の〜んびり生きることが長生きの秘訣の1つなのかもしれない。(とは言え、ホッキョクグマを捕食するほどハッスルする時もあるらしい)

どのように生きるか、生きたいか。理想の生き方は人それぞれ。僕は別段長生きしたいとは思っていない。少なくとも、ニシオンデンザメのように日々の生産性を削ってまで長生きしたいとは思わない。(もちろん、彼らが意図的にそういう生き方をしていると言ってるわけでもないし、彼らの生き方を否定しているわけでもないよ!)僕が理想とする生き方を体現しているのはハチドリかな。日中は命を燃やすように猛烈に活動して、夜は死んだように(極限まで代謝を落として)ぐっすり眠る。彼らの単位時間あたりの密度は非常に濃い。もちろん、僕はその無尽蔵とも思えるエネルギーを「短い食事時間」で得て、「食事以外のこと」に使いたいわけだけど。それがつまり、「ZONEに入り浸る」ってことさ!(あ、これはハチドリの生き方を暗にディスってるな。僕ってホント嫌なヤツ。猛省)

となると、やはり「人間の睡眠」というのは、甚だ改善の余地が大きいと思われる。睡眠を完全に排除することがメリットよりも多くの(または重い)デメリットをもたらすなら、「睡眠の濃縮」が最適解となるだろうか?例えば「8時間の睡眠を30分で」など、1回の睡眠が持つ効果はそのままに、その睡眠時間を可能な限り短くすること。(または、睡眠の効果そのものを強化・発展させる)これによって「1日に何度も睡眠をとる」という選択肢も生まれるかもしれない。(睡眠時間を短くする最大のメリットは「1日に何度も睡眠がとれるようになること」?やっぱり睡眠って絶対不可欠?)それが筋肉や神経回路の発達および技能向上サイクルを加速し、人を今まで1度の人生では到底到達し得なかった境地へと至らせる。(映画『マトリックス』的な「瞬間的な技能のインストール」が実現するなら多分こんな感じじゃないかな?つまり、「技能に関わる神経回路への最適な刺激→睡眠的回復」の超高速反復 = 精神と時の部屋?まあ、このレベルまで来たら「睡眠」は無いも同然か)睡眠の力を100%コントロールすることで既存の「睡眠」を失くす。これを実現させるために尽力できるなら、僕は僕の理想を生きられる。(たとえ実現できなくても!)

ホントはもっともっとたくさん語りたいことがあるし、語りたい気分になることもあまりないし、ここ以外に語る場所が無いわけだから(オタクであることのデメリット!)こういう絶好の機会を逃したくはないんだけど、このままだと記事を公開できなくなるので脱線はここまで。

7月に起きた出来事の中であと特筆に値することと言えば、19日(金)に「Oura Ringを失くした」ことか。「ついにやってしまった!」といった感じだ。Oura Ringによる最初の睡眠測定は2021年12月17日(金)。DNBを開始したのが2021年12月9日(木)だから、Oura Ringの使用開始はそれから8日後ということになる。つまり、僕とOura Ringの付き合いは、僕とDNBの付き合いとほぼ等しい時間だったわけだ。失くしてから1ヶ月経とうとしているけど、未だに左人差し指にOura Ringが無いことに気づいて「はっ!」となる。(「あ、そうだ。失くしたんだった・・・」)実際にOura Ringがまだそこにある感触さえ時折感じるのだ。(僕は具現化系能力者?)

だけど思いの外、Oura Ringとの決別は辛いものにはならなかった。「このタイミングにおけるOura Ringとの決別が意味することとは?」「これが僕にとって都合が良い出来事だと仮定するなら、どう都合が良いのだろうか?」僕の思考は、自分でも驚くほどあっさりと、そちらへ移った。

アタオカの僕は「運命は予め決まっていて自分じゃコントロールできない」と考えて生きている。僕たちがこういう出来事に感情を乱されるのは、僕たちが完璧な予知能力者じゃないから。運命を知っていれば、「アクシデント」や「自分にとって都合の良い期待」は存在しない。予め決まっている運命を知らないから「自分にとって都合の良い期待」をして、その期待が「裏切られる」なんてことが起こり、その結果、感情が乱される。

僕たちの脳は「絶えず低レベルな予測」を立てている。これは自分ではほとんど全く気づかないほど無意識的に行われている。

例えば「このドアノブを回せばドアを開けることができ、部屋に入ることができる」という予測。これも予測ではあるけれども通常こんな予測を立てていることには気づかない(=無意識)。そして実際、ドアノブに触れたときにそのドアノブが異常に熱かったら?「えっ!?」と驚くだろう。ここでも「ドアノブが熱いわけがない」(「ドアノブは常温」)という予測を無意識的に立てていたことになる。

これは先に説明した「自分にとって都合の良い期待」=「ドアノブが熱いわけがない」と「その期待が裏切られる」=「ドアノブが(予測に反して)熱い」、その結果「感情が乱される」=「えっ!?」を具体化したものだけど、実際にはドアやドアノブに関してだけでももっとおびただしい数の予測を立てているし(質感、重さ、音etc)、自分の筋肉や関節の動き、体重移動、重力、空気抵抗などももちろん、細かく分ければそれこそキリがない。

そして、全てが予測通りであれば、それらが意識に上ることはない。(米ドラマ『プリズンブレイク』の主人公マイケル・スコフィールドのように「視床の機能不全」を抱える人はこれらの情報も全て意識に上ってしまうということか?そして彼のようにたまたま高いIQ持っていたら、それらを全て意識的に処理できるってこと?)※視床の主な役割は「意識に上げるべき情報の取捨選択」だと考えられている。

このように僕たちは「自分にとって都合が良い低レベルな期待(予測)を絶え間なく繰り返して」生きている。そして、僕たちはそのことに気づかない。全てはほとんど無意識的に行われるから。これがほとんど無意識的に行われる理由は、恐らく僕たちの祖先の生存においてこの予測機能がとりわけ重要だったからだろう。もちろん、人間だけじゃなく他の生物にとっても同様に。だから神経回路が本能レベルに洗練されていて、エネルギー効率が良く、自動的。故に「歩きながら(自動的)コーヒーを飲む(意識的)」とか「ガムを噛みながら(自動的)車を運転する(意識的)」などと同様に、「予測を立てながら(自動的)料理をする(意識的)」なんていうマルチタスクも容易だ。(そもそも「歩きながらコーヒーを飲む」時でさえ、同時に絶え間無く低レベルな予測を立てている)

自分がコレをしていることに気づくチャンス?もちろん、「自分の感情が乱れた時」だ。何かが起こって、または、誰かに何かをされて「イラッ!」とした時。「あれ?ちょっと待てよ?今、自分はどんな自分にとって都合の良い期待をしてただろうか?」などと、ちょっと立ち止まって考えてみる。意識をこちらに移すだけで怒りは多少和らぐかもしれない。そして、実際にほぼ全ての機会において、先にあげた「ドアノブが熱いわけがない」という例のように、自分が「自分にとって都合の良い期待をしていた」ことに気づくだろう。

そこから「なぜ?」と思考を広げてみてもいいかもしれない。「なぜ自分はそのような自分にとって都合の良い期待をしてしまったのか?」大抵の場合、その期待(予測)が如何に非論理的で根拠の無いバカバカしいものであったかに気づくことになり、「ぷっ」と笑ってしまうから。

(後輩にタメ口をきかれてイラっとした。→「あれ?なんでイラっとしたんだろう?」→「自分はどんな自分にとって都合の良い期待をしていたんだろう?」→「後輩が当然自分を敬って敬語を使ってくれると期待していた?」→「なぜ?」

→「自分が無条件に敬われて当然の人間だと盲信してた?」→「なぜ?」→「年上だから?先輩という上の立場だから?一方的に教える側の人間だから?人気があるから?優秀だから?高学歴だから?容姿が整っているから?お金持ちだから?権力者だから?生物として自分の方が圧倒的に優れているから?毎日自己研鑽しているから?それが社会人として当然の礼儀だから?そもそも他者を敬うのは人として当然だから?それとも無意識的に自分が相手を見下していたから?」

→「わからないけど、じゃあ敬語を使われさえすればイラっとしなかったってこと?」→「てことは敬語を使われさえすれば自分が十分敬われていると思って安心できたってこと?」→「敬語を使われさえすれば安心できるってことはタメ口をきかれることが自分に恐怖を与えているってことか?」→「なぜ?」

→「実は自分に自信がないから?本当に自信のある人は多分相手の態度なんか気にしない。つまり、自分がただ単に臆病ってことかも?そうなると敬語の起源が気になるな。そもそもなぜ敬語が生まれ、今も存在するのだろう?」

→Google!

→「そうか、敬語というのはもともと神様と対話するために作られたという説があるのか。人間が作り出した神様は大きな力を持ってるうえに人間と同様に怒りっぽい。疫病、干ばつ、飢饉、洪水、噴火、地震、雷、火事、親父。神様を怒らせたら何をされるかわかったもんじゃない。だから怒らせないように、敬意を示す手段として敬語を作った、ってことか。つまり、敬語を生み出したのはやっぱり人の臆病さ(恐怖心)ってことになりそうだな。それが今日までずっと残っているってことは、人は相変わらず恐怖心に支配されてるってことかもしれないな。

となると、『敬語を使うのは社会人として当然の礼儀』とか『敬語によって社会的コミュニケーションが円滑になる』っていうのは結局のところ、敬語を当たり前に使う社会の方が自分の臆病さを隠すために都合が良いっていう人の言い訳にすぎないのかもしれないな。そして、そういう人たちがいつの時代も常に大多数。っていうか、多分ほとんどの人はいつも当たり前に使っている敬語に関してそこまで真剣に考えずに生涯を終えるんじゃないかな。

今回僕がこれに気づけたのもたまたまだ。当たり前だと思っているけどよくよく考えてみると不思議なことってまだまだあるかもしれない。ニュートン、メンデル、ダーウィン、アインシュタイン。偉大な先輩たちが明らかにした科学も全て気づくことから理解が始まったんだよな。気づきがなぜ?という問いを生み、問いが好奇心を育み、好奇心が考察を進め、やがて理解に至る。1人で全てやる必要はない。誰かが何かに気づけば、それが別の誰かの好奇心に火をつける。僕たちはたまたま気づくだけの知性を与えられた。気づくこと。それが知性の自然な発露なのかもしれない。いつかもっとたくさんの不思議な当たり前に気づけるといいな。

まあ、この考察の真偽やこの考察自体にどれほどの価値があるかはわからないけど、後輩にタメ口をきかれてイラっとした自分に気づけたおかげで少し自分や社会に対する客観的視点を得られたような気がするし、何よりこういう考察を楽しめる自分っていうのは新しい発見で、それだけで自分にとっては十分価値がある経験、と言えるかもしれないな。」

※実体験に基づくアタオカ流思考法の一例(一部フィクション含む)です。単純に楽しいし、メタ認知力も鍛えられて一石二鳥?あ、僕はちゃんと敬語使ってるよ!臆病者の僕にとってはその方が都合がいいからさ!「うわ、こういう考え方持ってるヤツがいるってやだなぁ」←僕はそう思われても全然構わないけど、あなたはあなたがそう思う理由を真剣に考えたことがあるかい?)

Oura Ringを失くした時に僕の感情が乱れたなら、それは僕が「Oura Ringを失くすことなんか絶対にありえない」とか「Oura Ringは今後も一生僕と共にある」などといった「僕にとって都合の良い期待を無意識的にしていた」からだ。そして、実際に乱れた。だから上述したプロセスを実行し、感情をセンターに戻した。

「いつかOura Ringを失くすかもしれない」と予め意識的に予測していた場合はどうだろうか?買ったばかりの頃はその可能性に怯えて慎重に行動するかもしれないけど、何年も同じ意識を保つことは難しい。いずれにせよ、「失くす」という出来事は突然やってくる。そのとき僕はどう思うか?「確かにいつか失くすかもしれないとは思ったけど、それが今だとは思わなかった」だ。つまり、この場合においても、僕は「今失くすことなどありえない」と「僕にとって都合の良い期待をしていた」ことになり、結局、上のプロセスを実行することになる。(なった!笑)

なぜ僕たちは、このような「低レベルな自動予測機能」に翻弄されなければならないのだろうか?(いや、この機能を失ったら・・・と考えただけで戦慄するけど)

僕の持論は、「僕たちが完璧な予知能力者じゃないから」というものだ。僕たちに未来を完璧に予知する能力が備わっていれば、こんな低レベルな自動予測機能に頼る必要はない。つまり、僕たちが現在使っている予測機能は完璧な予知能力のプロトタイプみたいなもので、「何十億年、何百億年にも渡る試行錯誤(予測と失敗)を繰り返してみんなで完璧な予知機能を完成させましょう!」みたいな、人智を越えた存在による宇宙規模のプロジェクトの1部、かもしれないというわけだ。(僕がアタオカであることはちゃんと前置きしたよ!)

現在の最高次の脳部位は大脳新皮質だけど、人類かその他の知能の高い生物が数億年後も生きているとしたら、同じ脳部位が依然として最高次である確率は低いんじゃないかな。だったら、その時の最高次の脳部位が司る機能って?こういう風に未来に思いを馳せるのは面白い。

怒りや悲しみといった感情が「自分にとって都合の良い期待(予測)が裏切られた」時に起こるなら、それは単純に「予測という試行に対するエラー(失敗)のサイン」と考えることができる。つまり、「シュート練習でシュートを外した時に生じる感情」と同じということだ。ただ、僕たちには「予測の練習をしている」という自覚はない。実際にはシュート練習なんかとは比較にならない密度で、絶え間無く予測の練習をしているにも関わらず。そこが違いかな。シュート練習をしている自覚がないのにシュートが外れたら、そりゃあ驚くよね。(God damn it! What the hell’s going on!?)

「完璧な未来予知」は可能か不可能か。とても面白い問題だけど、まだ絶対不可能と証明されたわけじゃない。だから僕は「完璧な未来予知は可能」と考えることにした。それはつまり、「運命は予め決まっていて自分じゃコントロールできない」と考えるってこと。

めちゃくちゃネガティブ?確かにそうかもしれない。前向きに人生を生きている人は、「人生や運命は自分の努力次第で変えられる」と思って今この瞬間も必死に努力していると思うし、こんなイカレた記事を読んでくれているあなたもきっとそうだろう。もちろん僕はそういう姿勢や考え方を否定しているわけじゃない。僕も元々そっちタイプだったからこそDNBに挑戦し始めたわけだしね。でも、いつの間にか考え方が変わった。要は、「どういう考えを持って生きた方が自分にとって都合が良いか?」「どのように考えて生きたら自分はより幸せでいられるのか?」ということが僕にとって最も大事なことであり、これを突き詰めて辿り着いた僕にとっての答えが「運命は予め決まっていて自分じゃコントロールできない」という考え方、というわけなのだす。

「運命が予め決まっていようといまいと完璧な予知能力者ではない僕には運命を知ることはできない。運命が予め決まっていたとしてもそれを知ることができないなら、僕は自分の運命(ストーリー)を初めて見る映画のように楽しめる。ある出来事に感情が乱されても、それさえ”ストーリーとして予め決まっていた”とするなら怒るのはバカバカしい」

上の「自分にとって都合の良い期待をしていたことに気づく」や「僕たちは絶えず無意識的に予測の練習をしている」と合わせて強力なアンガー・マネジメント(感情コントロール術)になる。

「なんだよ、ここまで話をデカくしておいて結局ただの感情コントロール術かよ!」とがっかりさせてしまったのなら申し訳ない。(あなたは今どんなあなたにとって都合の良い期待をしていただろうか?)確かにただの感情コントロール術であることは否定しない。ただ、僕はこれによって「自分を俯瞰する自分を俯瞰する視点」みたいなものを持つことができると考えている。

「自分を人ではなく原子の集合体と考えて運命という視点から見る」ってことになるかな?まだあまり上手く説明できないけど、「運命を構成する僕という原子の集合体の時間的変化を運命側の視点から観察する」って感じ?先の「視床が意識に上げないと判断して捨てた情報をあえて(意識的に)拾う」習慣と合わせて強力なメタ認知力の訓練になると思うんだ。

これはDNBによってワーキングメモリが鍛えられて、ワーキングメモリに余裕が生まれたから芽生えた考えだろうか?それは(まだ)わからない。でも少なくとも、「運命は予め決まっていて自分じゃコントロールできない」って考えは、「僕は今も生きていることの方がよっぽど奇跡的だと思ってるし、毎日僕にできる精一杯の努力をしているって自信があるから今、この瞬間に死んだとしてもきっとやれるだけのことはやったって満足できる」っていう確信から生まれたもので(だから「運命が予め決まっている」ことやそれ故に「自由意思が存在しない」ことは僕にとって全く悲観的じゃない)、この確信を生んだのは間違いなくDNBだ。つまり、DNB習慣 + それによって獲得した能力。獲得した能力だけではこの考え方は生まれなかっただろう。

ということは(この考え方自体には価値が全くなかったとしても)、先の映画『マトリックス』の「技能の瞬間的インストール」みたいな技術が人から努力を奪ってしまうのなら、それによって生じ得るデメリットは計り知れない。(まあ、テクノロジーで拡張したワーキングメモリで何かを成し遂げようとするなら依然として努力は必要だし、「インストールした技能を組み合わせて全く新しい技能を創造する」みたいなこともできるから、努力が完全に不要になるなんてことはないと思うけど)

とまあ、ここまで宇宙や運命にまで壮大に話を広げて低レベルなアタオカ流感情コントロール術を披露して如何に「Oura Ring紛失事件」に僕が動揺しなかったかを力説してきたけど、「そもそもOura Ringのバッテリー寿命が尽きかけていた」ことについて言及するのは恐らく今が初めてだろう。(アタオカ、ここに極まれり!)

この「酸っぱいブドウ」的な負け惜しみの援護も受けて、僕の感情コントロール術は完璧さ!めでたし、めでたし。この感情コントロール術の副作用については・・・各々の価値観や人生観に基づいて各々で好き勝手に考えて頂ければ幸いである(マジでテキトーに終わらせないと書き終わらねぇ。ホントどうなってる?38にもなって「夏休みの自由研究」に翻弄されてやがる)

Yujiro流「自ら幸福感を下げないための思考法 兼 メタ認知力訓練」まとめ

  1. 僕たちは低レベルな予測を絶え間無く繰り返して生きている。(無意識的な予測の練習)
  2. その予測は大抵「自分にとって都合が良い(が根拠の無い)期待」である。
  3. 感情の乱れ(不快な感情の発生)は単純に「予測失敗のサイン」だと考える。→「今自分は、どんな自分にとって都合の良い期待を無意識的にしていただろうか?」
  4. 起こる出来事は自分ではコントロールできないと考える。(コントロールの放棄)
  5. が、出来事という情報(刺激)を内的にどう処理するかは自分でコントロールできる。
  6. 出来事そのものには良いも悪いもない。それを決めているのは「自分」である。
  7. したがって「全ての出来事は自分にとって都合が良い」という仮定(大前提)から情報処理を開始する。→「この出来事が自分にとって都合が良いなら、どう都合が良いだろうか?」
  8. 当たり前に享受している奇跡的な恩恵に気づく。→「自分の体を十分に理解しているわけではないのに心臓は常に動いているし、食事を摂ればそれを体が自動的に処理して自分の命を保ってくれている。今まで通り今日も明日も明後日もこれは変わらないと思っているけど、これも自分にとって都合が良い期待にすぎないかもな」
  9. 今の自分がどれだけ「不自由」であるかに気づく。(「本能」や「予測機能」などによる思考・行動の制限)
  10. それらから解放された時の幸福感を想像する。(実際に体験できればベスト)

「幸せの定義」は、各々の価値観や人生観に基づいて各々で好き勝手に決めればいいと思うけど、それをしっかり考えてみることは誰にとっても有益なことかもしれない。僕の幸せの定義は「永遠の幸福感」だ。(昨年末にいただいたゴムの木の花言葉でもあることはとてもナイスな偶然だ)一瞬、いっ時の幸福感じゃ全然物足りない。永遠に続く幸福感。それが僕が理想とする人生だ。そして僕にとっての永遠というのは、「今、この瞬間から僕が死ぬその瞬間まで」の時間のこと。その時間は「今、この瞬間」の絶え間無い連続で構成される。故に僕にとっての永遠とは、「今、この瞬間」のことになるわけだ。

もちろん、これは僕の理想であって全然現実的じゃないことはわかっている。「苦」が幸福感を得るために絶対不可欠とは言えないまでも、「ダウン(苦)があるからこそアップの時に得られる幸福感が増幅される」というステレオタイプの主張にそれなりの正当性があることは経験的に理解しているけど、僕は大の夢想家なのでこれには全く唆られない。だから、僕の人生全部使っての実験だ。目指すところはもちろんZONE状態の恒常化。これを達成して「ホモ・インサヌス(イカレた人類)」から「ホモ・リベラトゥス(解放された人類)」に、僕はなる!(最近ハマり出したこのラテン語遊び、たぶん厨二病レベルアップのサインだな。「フィカス・エラスティカ」とか植物の学名って超カッコイイ!)

最後に、挑戦開始以来初めて「1日あたり最高平均Nレベル = 最高Nレベル」という等式が成立したことについて言及して7月の記録記事を終えよう。

DNBを開始するにあたって僕は自らに「毎日30分の挑戦」というノルマを課した。これはワーキングメモリを司る神経回路の持続的な成長のための最適な刺激がわからなかったため「これくらいならいいんじゃね?」と思考停止して設定しただけのノルマだ。

僕はこのお粗末なノルマを挑戦開始以来今日まで、文字通り愚直に1日も欠かすことなく達成してきたわけだけど、ここで重要なのはこのノルマが「回数基準(毎日20回など)」ではなく「時間基準」であるという点だ。(「回数基準」だとNレベルの上昇に伴ってノルマ達成までに必要な1日あたりの挑戦時間が際限なく増えていくので無理だと思ったし、レベルアップを苦に感じて純粋に喜べなくなっただろう。こうなったら継続は不可能。自分で決められるルールで自分を殺しちゃダメ)

僕のDNB Limitlessでは能力に応じてNレベルが際限なく上がっていく。そして、Nレベルが1つ上がると1回あたりの挑戦時間も4秒長くなる。30分/日というノルマは変わらないので、Nレベルが上がれば上がるほど1回あたりの挑戦時間が長くなり、ノルマ達成までに必要な「1日あたりの挑戦回数が減っていく」ということになる。

N=15の場合、1回あたりの挑戦時間は60秒(1分)。故に30分のノルマを達成するには30回の挑戦が必要だ。N=30の場合は、1回あたりの挑戦時間はN=15の時の倍の120秒(2分)。よって、ノルマを達成するために必要な挑戦回数はN=15の時の半分の15回となる。

N=450なら1回あたりの挑戦時間は30分となり、1回の挑戦でノルマ達成となるので1日あたり平均Nレベルは450.00。この場合、N=450が自己ベスト(最高Nレベル)であるなら「1日あたり最高平均Nレベル(450.00) = 最高Nレベル (N=450)」という等式が成立することになる。

ここで何が言いたいかというと、「いつか起こると予想していたことが実際に起こりました!」というただそれだけのことだ。

1日あたり最高平均Nレベルは最高Nレベルに追随する形で上昇する。最高Nレベルは常に先行し、1日あたり最高平均Nレベルが最高Nレベルを追い抜くことはありえない。が、これら2つの値が等しくなる可能性はあり、上で見たように1日あたり平均Nレベルが上昇し、ノルマ達成までに必要な挑戦回数が減れば減るほどそれが起こる確率は高くなる。

N=450に届きさえすれば起こる確率は100%。でも、僕が死ぬまでにN=450に到達できる可能性はちょっと微妙(今のペースを維持したとしても40年ほどかかる)だから「僕が」これを起こせる確率は100%じゃなかったし、何よりこんなに早く起こるとは思わなかったので僕にとっては十分特筆に値する出来事なのだ。

「 1日あたり最高平均Nレベル(47.00) = 最高Nレベル(N=47)」挑戦回数: 10回

自己ベストのN=47に(レベルアップもダウンもせずに)10回も連続で挑戦できたからコレが起きたわけだけど、コレは手放しで喜んでいいことなのだろうか?

なぜこのような疑問を持つかというと、コレを「最高Nレベルが1日あたり最高平均Nレベルに追いつかれてしまった」と捉えることもできるからだ。つまり、「最高Nレベルの成長速度の低下」を示唆するものかもしれない、というわけだ。

でもまあ、これに関しては今あれこれ考えても結論は出ないだろう。何しろ初めての出来事だ。情報が絶対的に不足している。というわけで、しばらく経過観察って感じになるけど、ここからどのような結果が得られようと、発見としては面白いものになりそうだ。

僕にとって理想的なのは「Nレベルの上昇に伴って30分のノルマ達成に必要な1日あたりの挑戦回数がどんどん減っていっても今までと同じ(か、それ以上の)ペースで最高Nレベルが向上していく」って結果かな?こうなったらNレベルの向上に必要な刺激は「挑戦回数」じゃなくて「挑戦時間」と考えることができるのではなかろうか?

「今まで以上のペースでの成長」を期待できる理由は、ノルマ達成までに必要な挑戦回数が減ることで、挑戦と挑戦の間のインターバルの回数が減り、ノルマ達成までのインターバルの合計時間が短くなって、1日あたりの挑戦の密度が濃くなることが期待でき、それが神経回路の成長をさらに促進する可能性があると僕は考えているからだ。

例えばN=15なら、ノルマ達成までに必要な挑戦回数は30回(1分/回)、よってインターバルは29回もあるけど、N=90ならインターバルはたったの4回になる(6分/回)。

僕にはインターバルをかなり長めにとる癖がある。そんなわけで、30分/日のノルマを達成するのに平均1時間30分くらいはかけていると思う。故に、もしこれがNレベルの向上にマイナスの影響を与えているのであれば、Nレベルの向上に伴って必然的にインターバルの回数が減るので、ノルマ達成までに費やす時間が短くなり、それがマイナスの影響を緩和してくれるかもしれない、という僕にとって大変都合の良い期待を抱いているのでありんす。

N=450ならインターバル無し。1回の挑戦に30分完全集中してノルマ達成。挑戦の密度は非常に濃い。まあ、1日あたり平均Nレベル225〜449.5まではノルマ達成までに2回の挑戦が必要だけど、挑戦時間は最大で59分56秒/日(1日あたり平均Nレベル449.5)になるから、こっちの方が刺激の強度では上かも?1日あたり平均Nレベル225から449.5までの間はノルマを「回数基準」にした場合と同じ地獄を見ることになるわけか。いや、N=450以上は挑戦時間が際限なく長くなっていくのだからここからが本当の地獄の始まりだ。厳密に言えば、この時間超過の傾向はすでに見られるし、Nレベルの上昇に伴ってその度合いは大きくなっていくわけだから、30分/日という条件さえ流動的。となると、あまり有意義な実験にはならないかな?

「書きたいことが多すぎて書き終わらない」という問題を抱えたのは初めてかもしれない。書いている最中にどんどん思いつくことがあり、それに関する考察がまたアイディアを生み、結局全くまとまりのない中途半端な記事になってしまった。「予め書くことを決めて、決めたことしか書かない」ってしてもいいけど、それで失われてしまうアイディアがあるなら、例えそのアイディアが誰にとっても無価値であったとしても、僕にとっては全く収支が合わない。まだまだ全然書き足りないけど、もうそろそろ8月の記録記事も書けるというほどに時間が経ってしまったので中途半端で非常に残念ではあるけれども、このまま記事を終わらせる。

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